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芸術における自然のミーメーシス

1.ミーメーシス

「ミーメーシス」は古代ギリシャプラトンアリストテレスの時代に生まれた芸術を評価する上で重要な語句である.一般に「模倣」と訳されることが多い.これは単に表面的なものをなぞる,単なる猿真似ではなく,そのものの本質を「再現」することである.芸術とは自然のミーメーシスであり,それをいかに表現するかが重要であるといえる.

2.プラトンアリストテレス

哲学者として有名なプラトンは存在の根源は「イデア」にあるとする論を唱えた.これはあたかも,人は洞窟の中で光(イデア)に照らされた影の世界しか見ていることしかできない状態にあると言える.我々が見ているものはイデアに照らされた影の世界でしかなく,我々の捉えることのできる世界を超越した世界(イデア)にこそ,存在そのものの根源があるとした.

アリストテレスはこれに対して,存在の根源,事物の本質は,それ自体から離れている(超越している)ものではなく,その存在そのものの内に秘められているとした.

3.アテナイの学堂

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/68/Raffael_058.jpg
アテナイの学堂 - Wikipediaより

これはイタリアのルネサンス期1509年頃にラファエロの描いた『アテナイの学堂』と呼ばれる絵画作品である.「アテナイ」は現在のギリシャの首都アテネのことで,ここには様々な人々が描かれているが,その中心の2人はプラトン(左)とアリストテレス(右)であると言われる.中央部分を拡大してみると

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左側のプラトンは,天上を指さしてイデア論を唱え,存在の本質はこの世界を超越した世界にあると言い,それに対して右側のアリストテレスはまっすぐ水平に指をさして,存在の本質はこの世界の中にこそあると唱えた.この2人を中心にして周囲の人々*1が学堂の中にそれぞれ2人の方を見ていたり書物を書いていたり,会話していたりする.

この作品から,いかにプラトンアリストテレスの主義主張が西欧の芸術にも大きな影響を与えていたかが窺える.つまり,芸術がいかに世界の本質,存在の根源的なものを表現する手段であるか,という考え方が息づいていたかがわかる.プラトン的にはいかに超越した神々の世界とでもいうべきものが作品に描かれているか,アリストテレス的には描かれたものそれ自体の本質をその作品がどれだけ巧く描かれているかが,芸術において重要であると言える.このような「プラトンの超越性」にしても「アリストテレスの内在性」にしても,世界の本質,存在の根源のようなものを描き出すこと=ミーメーシスすることが芸術において重要だという捉え方である.

このミーメーシスという考え方は,現代芸術においても息づいており,よりうまくミーメーシスされたものこそが芸術的に評価できるものと思う.歴史に名を刻み,現在まで残され,愛され続けている作品の背景には,その作品の魅力の裏に,いかにその描かれたものの本質がミーメーシスされているかということを振り返ってみるとわかることだと思う.

4.自然をミーメーシスする

私は神々の存在を信じていないので,プラトン的なものについてはなるほどそういう考えもあるのか程度に思っているが,アリストテレス的な,存在そのものに内在している世界の本質をミーメーシスするという考え方にはなかなか共感できるものがある.

例えば,日本人は富士山を見て美しい山だと言う人が多いし,海外においても「山岳美」という観念がある.また,「絶景」という単語もあるが,自然に作り出された風景が人間の心を捕えて,我々を「世界」に引き込もうとするような,そのような美しい空間が地球には多数ある.また,海に沈む夕焼けや,山頂から見た夜空に無数の星々など,地球だけでなく宇宙全体に美を感じる.このような「自然」という大きな存在の中にこそ,人間はその自然の一部として内在し,活動している.こういうものをミーメーシスされた作品を創作すること,またそれを鑑賞して味わうことは,数学や物理学などによって世界の成り立ちを究明しようとする自然科学的なアプローチと,手法は違えど同様のことをしているように感じる.

自然を人間のつくりだした色だけで表現するのは不可能である.そもそも「可視光線」は電磁波の中の波長が約380nm~780nmの範囲のものだけでしかない.

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https://www.sugatsune.co.jp/technology/illumi-l.php
より

また,色だけでなく音についても同様のことが言える.世界には様々な音に満ち溢れているが,人間の耳で聞くことのできる領域(可聴域)は周波数がおおよそ20Hz~20000Hzと言われている.人間には聞き取ることができない領域の音を超音波という.コウモリやクジラは超音波による「反響定位」という仕組みで餌となる動物の位置や仲間との情報のやりとりをしている.

このようなことから,自然に存在するものは,人間や人工物ですら*2,完全に絵の中に表現したり,音を楽器で再現することには限界があると考えられる.しかしながら,その制約の中で,いかに存在の本質を,自然そのものを表現するかが芸術なのである.

*1:アテナイの学堂』に描かれている人々はみなそれぞれ著名な学者らだと言われているが,どの人物が誰なのかは諸説あるらしい.ただ,この中央の2人はプラトンアリストテレスであろうという説が有力である.この絵の中には絵を描いたラファエロ自身であるとされる人物もいる.また,プラトンのモデルはレオナルド・ダ・ヴィンチではないかと推測されている.どの人物が誰なのか調べてみるのも面白そうである.

*2:そもそも人間も自然の一部であり,人間活動によってつくられた人工物も自然の一部である.